介護

2010年8月 8日 (日)

相変わらずな人たち

相変わらず自分勝手な姉たち
これは、自分から動かないと何も解決などしないとわかった。
あの人達に何を期待しても無駄。
そしてあの人達の家族も同類。

両親と叔母を御盆に外泊させる件。
いつにするか?ということを姉それぞれと話すと
「とにかく任せておいて。自分達でするから」
つまり私を休ませてくれる、というような言い方だった。
いかにも私のために、御着せがましい話でもあった。

私をそこから解放してくれるのはありがたいが
(いや、今まで何十年も私ひとりに押し付けてたんだから
別にへつらう必要もないことだけれど)
ここで肝心なのは、どういう日程にするか?は
あくまで外泊する親たちの体調や気持ち等なわけ、で。
そんなことぐらいは考慮しているだろうと思っていた。

私が行く度に「帰りたい」という親なのに
姉達が行くと、そんなことを言わないらしいし、
それでも先月私が頼んで外出させてもらった際は
ほんの数時間自宅に滞在しただけで「施設に戻る」と
言ったらしい。
「家に居たってね、やることもないし結局
すぐに帰るって言い出すんだから」
私は???と思っていた。
家の居心地が悪いのか?自宅なのに?
現に私達夫婦が外出させた時は
泊まりたいような勢いで、名残押しそうに家を後にした。

今週になってから私が久しぶりに連日両親たちのところへ
通い始めたら、父がやっぱり「帰りたい」連発になった。
そして今日は「○日に外出させると×子が言ってた」と
言い出した。
父も母も、記憶があやふやで、
でも突然正しいことを思い出す。
×子(姉)が本当に約束したのだろうか?

帰宅して姉達に電話で確認するとパッとしない。
突き詰めたらわかった。
○日は正しかった。
それは実際に先月次女が提案した日にちだった。
で、私はどうせ外出させるなら、と思ったことは、
父と母が自宅生活していた際、一番の楽しみにしていた
なじみのマッサージ師さんに来てもらえないか?ということだった。
週三回、彼が来てくれることが両親の一番の楽しみだった。
施術だけでなく、彼の人柄、会話も両親の楽しみだった。
施設に入る際、それがなくなることも親にとっては
とても大きな喪失だったのだ。
ケアマネが杓子定規な人だったのも運が悪い
施設によっては、そこの部屋を借りて施術を続けることも
可能なところもあるのに、うちの親のところは
ケアマネが打診すらしてくれなかった。

ともかく、○日という日にちは
当然親を思ってのことではなく
その日が姉達やその伴侶にとって都合の良い日、
そこから設定された日にちであることがわかった。
公務員というのは、この御時世でも夏休みはきっちりあって
ボーナスもたくさんでて、本当に素晴らしい。

で、その日に来てもらえるかどうか
マッサージ師さんに突然電話してみた。
彼は突然の申し出にも関わらず、何とか調整しようと
してくれたが、難しかった。
でも、その翌日なら何とかなる、と都合をつけてくれた。
ビジネスではなく厚意でというのが
彼の事情を知るからこそわかる。
それでも彼は、違う日にちも念のために
あげてくれて、そのどちらかなら何とかなるだろう
と私は思った。
公務員の夏休みは長いわけだし。

ところが、ダメだった。
なぜか?それは子供の通院があるから。だった。
驚き。なにその理由?
高校生にもなる引きこもりの息子の通院送迎?
生き死に関わる病気でもないのに?
だいたい、いくつなんだ?
交通手段のない山奥じゃあるまいし。
過保護もいい加減にしてほしい。
何かといえば「子供が」それでずっと何年も
私が背負ってきた。
小さいうちは仕方ないと思ってきた。
でも、これはいったいいつまでつづくのか?
子供のいない私には「子供」を理由にすれば
一生通用する言い訳なのか。
上の娘などはもう成人している、それでも
まだ「娘のことがあるから」が介護拒否の理由と
堂々と成立する。
成人したその娘(孫)はしばらくニートだった。
今だって、なんちゃって学生だ。
その娘に介護を手伝ってほしいと頼んだら
姉夫婦に激昂されたこともある。
「何の権利があって自分達の子供まで介護に
ひきづり出すのだ!」と。
子供たちが小さい頃、祖父母や私に
子供たちを預けて自分達は遊び歩いていなかったか?
金銭的にもあらゆる面で、祖父母に世話になって
いなかったか?

じゃあ、せめて、叔母である私のために
私の負担を減らすために?という気持ちはないか?
と思ったが、もちろんその娘にそんな心はなかった。
私は、とても失望したが、仕方ない。

姉は育児放棄な人だった。
あの娘は、祖父母や叔母である私がいなかったら
今よく起きている虐待事件の被害者になっていたかもしれない。
でも、そんなことは当人は覚えていないし
成長するにつれ、虐待されて疎まれていた母親から
自分にすり寄ってくるほどに
それこそが彼女の求めていた母の愛情と
母親べったりになっていった。
どんなに愛情をかけて育てたつもりでも
結局は、冷たい母親似の子供。
それは幼いときから気づいてはいた。
あの子は姉にそっくり、で
性質がまるで同じ。これは生まれ持ってのこと。
そして、その自分本位な性質というのは
祖父である私の父にそっくりなのだ。
姉自身が認めていた
なぜ自分の娘が憎いか?というと
自分にそっくりだから好きになれない、と。
自分が嫌い、だからその自分に似ている娘が嫌い。
人は初めての出産で涙を流し、人生観が
変わったり、そんなことをいう女性が多い。
でも、姉にはそんな感情はわかなかったそうだ。
それはそれで、とても辛いことなのだそうだ。
彼女達は今ニュースになっている
育児放棄や虐待、老人行方不明
その加害者の気持ちに共感する、らしい。
私には理解できないが
まあ、これは別の話。

同じ家で同じ親に育てられながら
姉達は私とは違っていた。
いくら母から叱られようと
家の手伝いをすることがなかった。
強制されて、二度、三度言われてやっと腰をあげる。
その彼女達の子供たちの愚痴は、まるでそんなこと。
「言わなきゃやらない」「言ってもやらない」
「自ら進んでひとのために何かすることがない」
「自分のことすら自分でやらない」
あげくニートや不登校。
思い通りに育たなかったら「死んでしまえばいい」
よく子供たちの前でもそう平気で
言っていた姉夫婦だった。
似たもの同士の夫婦というか、
そんな二人だから結婚したのか。
だから公務員なのか、わからないが。

そんな親の同じ性質を受け継いだ子供たち。
21才と18才の子供たちがいて
その世話のために家を開けられないと
堂々と言えるバカ親な姉夫婦。

他人であるマッサージ師さんが
自分の休みを返上し、様々な厄介な
事情をすっとばしても駆けつけます
と言ってくれているのに
肝心の娘たちは、親のために都合をつけようとはしない。

私は、自分の通院日と重なっていたけど
私が都合をつけたら良いのだ、と思ったが。
まあ、最初からそうすればよかったことなのだ。
でも、ねぇ。
またしても、あそこのクソガキのしわ寄せが私か。


私が特別に親孝行とか偽善者ぶるつもりは毛頭ない。
親に感謝されようとも思っていない。
だいたい親はもう誰かに感謝して、などという
心根など飛んでしまっているし(特に父)
彼らは天国へ旅立っても
私の守護霊にもならないと思う(苦笑
ただ、人として相手の立場に立って考えたとき
残り少ない人生の中で
せめて何時間かをどう楽しい時間を
過ごさせてあげる手伝いができるか?と考えたとき
できる範囲のことはしてやりたい、と思うだけ。

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2010年6月23日 (水)

施設での選挙

久々に頭に来た。

父からの連日の電話攻撃で昨夜老健へ行った。
入って直ぐに事務員が来て
「不在者投票の件」を聞いた。
印鑑が必要とのことだった。
「父だけ?」と思ったら
母は「投票しない」という意思表示をしたらしい。
投票所まで行かなければいけないならそう言うだろうが
施設内の食堂ですること、
それすら億劫なのか・・・と思った。
母はあそこに行ってから、とにかく全てのことを我慢して
生きながらにして死んでいる。
だから職員からは「痴呆」と思われている
でも、母は全部わかっているのだ。

ともかく、母が投票権を放棄したのが本人の意思ならば
尊重するしかない。
そう思いながら両親と面会した。
父からは「せめて半日でも良い、出してくれ」と泣かれ
何とか、それを叶えることを約束した。
口先だけじゃなく、本当にそれを実現してやらなければ。
2人の入れ歯を洗いながら思った
どれだけ長い間洗っていなかったのか?と思う汚れ具合。
洗面所でふと見たら、誰かの入れ歯がカピカピになって放置されていた。
どれだけ人手不足なのか、もしくは人によって見てもらえていないのか
ともかく、あそこでは介護が不十分なのだ。
それは入った時からわかっていた事実。
最低限のことをしてもらえない。

帰り際、選挙のことを思い出し、母に聞いた。
「別にしてもしなくても良い。でも、面倒かけるんでしょう?
だったら、もう私は投票しなくても良い。寝てる方がラク」
職員に対する遠慮?それとも本当に億劫なの?
どちらともはっきりしなかった。
ただ、積極的に投票する意思はないのはわかった。
でも、それならば逆に投票することも可能でもある。
無理強いするつもりはないが
せめて、投票も可能な状態を確保しようと思った。
当日、どうしてもベッドから出たくなければやめたらいいのだ。

私は気楽な感覚で帰りに事務窓口へ寄って
「母の分の書類を」と頼んだ。
一応投票用紙だけは用意してやりたいから、と。

ところが、事務責任者は帰宅した後で
残った事務員はよく事情がわからない様子。
イレギュラーな事態に対応不可能という感じで
明日改めて・・・みたいな感じになってしまった。
そんなに難しいことなのかな?
同じ用紙をもう一枚って、コピーじゃいけないのかな?
やっぱり役所に出す書類って形式があるのか?
私はややこしいことなら諦めるつもりだが
その辺を知りたかった。明日は来れない、
現時点でパッと手続きできないなら、それはそれで良いし。
そんな感覚。

そこへユニフォームを着た見たことのある怖そうなおばはんが来た。
いつからいたのか、突然現れて
「もう、締め切ったから」
取り付くしまもない、というキッパリとした口調。しかもタメグチ。
睨みつけて「それでも文句あるのか!?」という態度に
それ以上食い下がる気力は当然ない。
瞬間に「わかりました」と言ってきびすを返して施設を出た。

あの人・・・見たことがある
あの口調、態度、それに記憶がある。
でも、私はたった一年前のことなのに
あの頃の介護問題のゴチャゴチャを忘れたくて自分で消去してしまっている。
たしかあの人は、入所の際の事前面接で家に来て
あの口調で最初から最後までタメグチの上から目線で
現れて消えていった人だった。
でも、名前は思い出せない。

夫に話すと「おかしいな、そんなに早く締め切りって?」
「ただ単に面倒なことしたくなかっただけじゃない?」
彼も「お義母さんは、積極的に投票したいわけじゃないだろうけど
でも、拒否しているわけじゃないはず、せめて当日
受けられるよう手配だけしておいても良いのにね、
ボケているわけじゃないんだから」
私も、そう思っていただけなんだけど。

そう
私だって、母も父もそうだけど、特定の政党を支持しているわけじゃない
宗教を持っているわけでもないから、その票を絶対確保!とか
そんな差し迫ったことではないのだ。
ただ、年をとってもずっと「選挙だけは義務だから」と
たとえ白票であっても投票にいくのが国民なんだと言っていた親だから
私はそれを思っただけ。
それが、そんなに厄介なことなんだろうか?
今まで選挙時に入院した際などは、結構簡単に
不在者投票の手続きをしてもらっていた。
いや、積極的に病院側が手続きをしてくれてたけど。

どうしても気になったので選挙管理委員会に電話してみた。
すると、案の定・・・だった。
別に締め切りなど過ぎていなかったのだ。
それどころか、たとえ郵送であってもまだ全然間に合う。
まして、投票の意思を示した人を拒絶するなど・・・
あってはならない行為らしい。
施設では「コピーは不可」などとも言われた書類だが
実際にそれはコピーだろうが、手書きだろうが
記載項目に漏れがなければ済む、前段階の書類。

施設に電話した。
すると事務責任者は謝罪し、母の分の書類を送る、と言った。
自分が不在だったから、とか何とか・・・
でも、そういう彼女の口から出ることは
ボロがどんどん露見するばかり。
コピーじゃダメだ、とか、書類を取り寄せなければ等々
私が選管に聞いていなければ、信じただろうもっともらしい言い訳。
それをひとつひとつ指摘すると、認めるの繰り返し。
なぜ最初から本当のことを言わないんだろう、詭弁。
まるで事業仕分けを見ているような感覚に陥った。

謝罪がほしいわけでもないし、クレーマーでもないのだ私は。
ただ、なぜあの人が「締め切った」と言ったのか
その意図を知りたくなった。

あの施設では選挙権を行使する老人は、ほんの数人とわかった。
聞き出して知った事実。
介護度が高い人が多いから予測はしていたものの
その人数の少なさに一瞬驚いてしまった。
そんな数だったのか・・・。
職員は、面倒なことを増やしてくれるなよ、と思ったのだろう
5人も10人も一緒でしょう?と思うのは私のワガママなのだろう。
「どうせ親を自分でみていないくせに」
「アンタに発言権があるの?」
そんな気持ちで仕事しているんだろう、あそこの職員は。

実際に介護の前面に立って大変な仕事をしている若い職員は
皆礼儀正しくて、実は親切な性格の子もいたりする。
でも、その指揮をとる役職のついた中堅職員は
ケアマネを筆頭に全部が腐っている。
介護に戻るということは、彼らとまた対峙するということ。
これが本当に精神的にキツイのだった・・・
体力的に少し自信が出て来たけれど
テキは老人ではなく、あの職員たちだったのだ・・・と思い出し
途端に気力が萎えてしまった。

でも、「怒り」という感情を持つまでに回復してきたんだな、
なんて思って自分で苦笑してしまった。

母の不在者投票は諦めることにした。
職員と対決してまで、それをすることをきっと母は望まない。
ことを大きくして、職員に虐待されるのは私の意図ではないのだ。

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2010年5月 9日 (日)

介護復帰へ・・・

今日は母の日。

夫の母には昨日のうちに花が届いてしまった。
そして義母からお礼の電話が来た。
明るい義母はいつになく疲れきった声で
何があったかと思えば
知人の親を老健へ入れるための手伝いをしてきたという。
持病も持ち、自身も高齢者なのに・・・。

身体的疲労か?と思えば、それだけでなく
「それよりも、精神的にしんどいわ」
まさかそこが終の棲家になるとは知らず
景色の良いところね、と喜ぶ老婦人を見ていて
切なかったのだ、と。
義母の言いたいことはよくわかる。

私の体調や実家の親の話になり、
今の老健、そして状況を話すほどに
義母は私達夫婦が何とかすべき、と言う。

たとえ一時帰宅であっても
一度、自宅に戻してあげよう、と。
そのために動き始めなさい、と。

それがどれほど過酷な生活になるか
それで病んでしまったからこそ
踏み出せない自分。
体力的に難しいと足踏みしてしまった自分。

でも、義母の言葉で勇気がでた。

「立ち止まるより
歩いている方が良い
歩きながら体力がついてくる」

そうかもしれない。

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2009年12月 5日 (土)

介護の負担・・・心の支え

私には一応姉妹がいる。

でも、その2人は親の介護を背負ってくれない。
口では「何かあったら言って」というが
こちらから言わなければ電話一本寄越さない。

ひとりは何と丸一年電話をしてこなかった。
もうひとりは私から電話を一方的にしていた。
それも、私なりに気を遣って
どうしても抱えきれない心のうちを聞いてもらっていた。
実際に動いてもらえないことを嘆くこともしなかった。
彼女は両親に対して冷たい気持ちを持っていたから。
実際に動くのは私でも、せめて心の支えでいてくれるだけで十分
そう
自分に言い聞かせてきた。

他人には出来るだけ愚痴ることをしなかった。
自分の身内を否定することを避けたかったし
見栄もあったかもしれない。

それでも、ケアマネやヘルパーさんたちから暗に
「なぜ、他のご兄弟は・・・?」と嫌味を言われることもあった。

たまに来てはヘルパーさんに対して
まるでお手伝いさんか?!というような口の利き方をする姉。
彼女達の家事のやり方をまるで小姑のように
私に指摘する姉。

ヘルパーさんやケアマネが快く思わないのも当たり前だった。

何より、何度それで喧嘩になったかわからない。
「ヘルパーさんはお手伝いじゃない!」
そんな当たり前のことをわからない人間が身内・・・情けない。
拭き掃除の仕方?野菜の刻み方?
冗談じゃない。じゃあ自分達は親のためにそんなに
細やかな家事をしてきたのだろうか。
そもそも、そんなことを私に告げ口をしたり
時には直接ヘルパーさんに嫌味を言ったり
実際に介護している私の負担を増やすばかりだった姉妹。

私が病気になっても、それは変わらなかった。
それが本当に今日わかった。
彼女達は、私の具合よりも
それによって「自分達の生活が狂う」ことを危惧しているだけ。

心の無い人たち。
同じ親から生まれ、私よりも、よほど大切に育てられたのに。
たぶん親が甘やかしたせいだろう・・・なんて、思う。

末っ子のみそっかすで生まれた私を
父は「また女か」と産院まで見にもこなかったという。
母は愛情深い人だったが、
健康優良児で図太い私より、身体の弱い姉を気遣っていた。
私は近所のおじさんやおばさん達に育てられたようなもの。
実際、近所のおじさんの方が大人になってからも
親しかったし、心から信頼していたりしたっけ。

皮肉なものだ。
そんな私が両親をずっと支えて最後の最後まで関わることになるとは。

姉は何一つ介護を率先してやってこなかったのに
この期に及んで私に「妹のくせに口の利き方が生意気だ」と
言った。「偉そうに」と。
もう、この年になって二つや三つの年の差など関係ないわ。
年老いて子供に返っていく親に「死ね」という人間など
私は、たとえ身内でも年上でも敬う気持ちなどない。
私が身体に爆弾を抱えているのを承知で
心労をかけたり暴言を吐く姉妹。
全く自分のことしか考えていないわがままな中年女たち。
情けないを通り越して心が凍った。
恥ずかしくて情けなくて涙も出ない。

今までは、ずっと母が私の心の支えだった。
「わがままいっぱいに育ててしまったママの責任。
お姉ちゃん達を許してね。貴女に甘えているんだから」と。
今日は夫の仲裁で私はカタチ上頭を下げた。
夫に醜い姉妹喧嘩をこれ以上見せたくなくて。
何より夫に申し訳なくて。

実の娘の姉妹よりも、よほど介護で負担を背負っている夫。

介護をしている人たちで一人っ子の人はきついと思う。
でも、兄弟がいても、いるからこそ辛いこともある。
今日心の中で兄弟の縁を切った。
表面上は取り繕ってやっていく。
でも、あの馬鹿姉妹を心の支えに・・・なんて
ないものねだりだったのだ、とわかった日だった。

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2009年11月27日 (金)

介護認定調査

老健から連絡が来た。
母の介護認定調査の件である。
今回の認定調査で母は介護度が下がることが予想され、最悪老健を出なくてはならない。
老健の存在意義は承知している。
自宅で生活できるようリハビリで健康を取り戻すのだろう。
しかし
実際問題、母は自宅で1人暮らしを営める状態ではない。
母は職員の手を煩わせたくなくて自分でできることをしているのだ。
それが、身体的には介助の必要なし、とバッサリ事務的にいい放つ職員。
老健で、母の認知度は上がってしまった気がする。
しかし、4月に改定された基準だと、認知度の判定も随分酷いものになったと聞く。
施設の職員は「要支援」だなどと言う。持病をいくつも抱え半分ボケている86才。
老健で生涯を終えさせる気はない。
でも、寒い北国の老朽化した自宅で
母の生活は難しい。家に戻れば、また寝たきり‥動けば心臓発作‥目に見えている。
でも、これが国の方針。
それにのっとるのがあの老健のやり方。認定調査には私が立ち会うことにした。今回はいくら私が訴えても、効果は期待できないと思っている。
母の介護度が下がったら、私は母と一緒に死ぬことにする。もう、限界。
私は本当は今頃手術をしているはずだった。
たまたま病

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2009年10月23日 (金)

母を想う日

南田洋子さんの追悼の徹子の部屋を見た。

何だか…母を思い出してしまう。
顔が似ているからかな、
そういえば母も70代初めからあんな調子になっていた・・・。

追悼テレビでは、過去の登場分も放映していたので
まだしっかり女優さん当時の彼女と、晩年の彼女が切り替わる。
それを見ると、はっきりとその老化がわかる…。

徹子さんもたぶん南田さんと同世代、
彼女と比較すると、南田さんがずいぶん老いが早い
気がしてしまうけど
徹子さんは別格なのだろう。

私は、母が年を取ってからの子供だから
母の老いを認めることをせずに来た部分がある。
「もっとしっかりしててよ」
「自分を年寄り扱いしないでよ」
なんて、随分酷なこともいったかもしれない。
自分の友達のお母さん達よりも一回り以上年上の両親。
なのに、ついつい、友達の親と同世代な気がして
うちの親の年齢を10歳位若く考えてしまっていた。

* * *

今日、老健にどうしても行ける体調ではなかったので
夫に仕事の合間に行ってもらった。
母は、何とかやっているようだ。
私の体調を心配し「入院しても看病もしてやれないなんて
親なのに申し訳ない」と何度も何度も言っていたそうだ。

まだ、大丈夫だな、母。
夫のことも認識出来たわけだし
そうして義理の息子には儀礼的なもっともらしいことを言える。
皮肉な見かただけれど
そうして取り繕うことが出来るなら、認知もまだ完全ではないな、と。
母は少しずつ違う世界へ行っているけれど
でも、70代の一時期の方がもっと酷かった。
あの頃の母なら私が入院といっても「あら大変ですね」だっただろう。

あの頃の母は父が入院しても病院へ見舞いにすら行かなかった。
私がとびまわっていても他人事。
まだ動けたし、ちょうどテレビの晩年の南田さんみたいな
ちょっと気だるい感じな母。
物忘れが多いのと、鬱なのかしら?程度だった。
なのに一切夫(父)の世話もせず、
自分の身だしなみすら気にせずだらしなくなっていた。
夫である父にも怒りっぽくなっていた。
それで夫婦喧嘩になって、父が母を突き飛ばし
(と、言っても押しただけ)
「暴力をふるった!」と怒り狂って
電車に乗って私の家に家出してきたのも・・・
たしか75歳位だった。
まだ歩けたし、電車にも乗れた。でも、ボケていた。
今思えば、あれは認知の始まり。
まともな部分とそうでない部分、体調の良し悪しが
混在していて、私も周囲も判断がつかなかった。

あの頃の母は義理の息子である
私の夫の前であっても、取り繕うことすら出来ず。
夫からみたら随分横柄なおばあさんだったかもしれない。

元々はこんな人ではなかったのだけど・・・と言っても
夫や介護の人には信じてはもらえてなかったろう。
「こんな風だけど、母は料理が上手でとても家庭的な人だった」
必死で弁解しても、老後の母しかしらない人には
「ほんとかいな?」ってところだったかも。
ヘルパーさんに「どうしてお母さんはお父さんのお見舞いに
行かないんでしょうね」と不思議がられたことも多かった。
ケアマネは露骨に母を軽蔑する感じだった。
嫌味な笑顔で「冷たいですよねー不思議ですよねー
もっと高齢な方でもご夫婦なら付き添いしたり世話してますよ」
そのたびに、私は情けない気持ちになっていたっけ。

今思えば母は認知も進んでいたのだろうし
今年になってわかったが、心臓の疾患もあったのだ。
父の主治医の名医の先生に今年頼み込んで母を診せて
やっとわかったこと。
「これは、お母さん。ずっと苦しかったはずだよ。
怠けて動かないんじゃない、動けなかったんだよ」
先生の治療を始めてから、母は少しずつ
性格は元の母に戻ってきた気がする。
心臓はもう完治することはないけれど
それでも、母から母親らしい言葉を聞けるなんて
今後二度とないと思っていたのに
心臓が機能するようになってからの母から
私は何度も「ありがとう」を聞いた。
本当の母は、そういう人だった。

* * *

人には母を弁護しながら私は
母には直接、その憤懣をぶつけた。
「ちゃんとしてよ!どうしちゃったの!!」

母は、黙って私を見るだけ、だった。
時には泣くこともあった。
「ママはもう老人ホームに住みたい」と言ったことも。
でも、そのわりにデイサービスへ行くことは
最後の時期まで嫌がっていた。
「あんなボケた年寄りばかりの場所へ・・・」
母にとっては、最初は嫌だったのもわかる。
中途半端にしっかりしているから、
幼稚園のようなゲームなど「ばからしい」と参加もせず。
「お風呂に入るために行ってよ」と頼み込んで行かせていた。
でも、徐々に話し友達が出来て、職員の人にも慣れて
やっとデイに行くことが習慣になった矢先、老健だ。
デイの方が楽しかっただろうけど、
でも今年に入ってからは体力的にキツそうだった。
「行ってしまえば良いのだけど、行くまでの準備と
帰宅してからの疲労がすごいの。やっぱり年なんだねぇ」
デイでは、お友達と会う楽しみよりも
そこの職員さんの1人の男性が母のお気に入りだったようだ。
彼は、母の好きそうな頭の良い、
それでいて朴訥とした雰囲気の人だった。
彼に爪切りをしてもらいながら世間話をするのが
母の楽しみだったのだ、と後で知った。

* * *

夫が「お義母さん、自宅にいる時よりも歩いてるかも」
と言っていた。
自宅の手すりもないベッドよりも老健のベッドの方がラクだし
トイレへも近いし、バリアフリーだし。
「良い部分もあるんじゃないかな」と。
幸か不幸か、あの老健は、ほったらかし、なので。
母が寝ていたければ寝たきりで良いし、
おやつの時間に席に来なくても、ほったらかし。
食べたい時は自分で食堂へ行く・・・
それはそれで母には必要な運動なのかもしれない。
自宅なら、どうしても私が規則正しく何かを強要してしまうし
逆に甘やかしてしまう部分もあったかもしれない。
おやつだよ、と言って来なければ
文句を言いながら枕元まで行っていたし・・・。
低血糖が怖くて、でも測る機械もなく
必要以上に規則正しい食事を強要していた。

そして寝たきり状態でいながらも
どうしても、色々なことが母の目に入る。
本来の心を取り戻しつつあった母にとっては
わずらわしいことも多かっただろう。
私がワガママな父に振り回されて疲弊していく姿を見ること
時には間に入って私をなだめ・・・父をいさめ・・・
夫には「娘をいつも使い立てして申し訳ない」と声をかけ・・・
そういう対外的なこと、が もう母には億劫だっただろう。

贅沢を言えばキリがないが、
でも母にはあの老健で最期を迎えさせたくない。
今、申し込んでいて、きっと空きは廻ってこないけど
私が何度も行って「ここなら」と思った
あの特養へ入れてやりたい。

私が身体を完全に治して、ちゃんと動けるようになるまで
母が待っていてくれると良いけど・・・。

南田さんを見て、母を想った日、だった。

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2009年10月17日 (土)

母の老健での生活

退屈・・・らしい。

私が看護科長と大衝突して以来
とりあえず前よりは看てくれているようになったようだが

いかんせん、あそこは、母と同程度の人が少ない。
認知のレベルとかいうのではなく
脳梗塞の後遺症等で話しが困難な方などが多い。

あと、あそこの院長のコネで入っている重度の認知の方とか。
本当は終の棲家ではないはずなのだが
特養と同じ感じで入っている方…これはほとんど会話も不可能。

デイでは、お友達も出来ていて世間話も楽しみのひとつだったのに
そこに行けなくなり、今は毎日ボーっとしている。
今日は本を読んでいた。
母は、デイでもそうだったが、若い人と話すのは
それほど楽しくないのだ。
口先だけで接する人を敏感に見分けるから
「ご老人」としてありきたりの声かけなど嬉しくない、というのかな。
デイの時、スタッフの中のお気に入りがひとりいたが
彼は母と接する時、老人、としてでなく
ある意味対等に、もちろんリスペクトしながらも
話していた。
ヘルパーさんでも、そう。
まるで近所の奥さんみたいな感じだったり
私たち娘のような感じで、普通に話す人にだけ心を開いた。
年を取ってもやっぱりプライド、はあるんだ。
その意味では難しいおばあさんだったのかもしれないが。

老健では
スタッフの人は・・・若い人はそれなりに頑張っているのだが
古株が、まるでモノを扱うように接するので
せっかくの若いスタッフのやる気をそぐ、というか。
彼らは重度の後遺症のある方たちの介護に追われている。

やっぱり、あそこではダメなんだな、といつも思う。
でも、この時期に移れるところは・・・ない。
あてもないし、あったとしてもこの寒い時期に移動させることが
母のためになるのか。
他の兄弟は「もういいじゃないの」と反対だし。

それにしても、相談員は入所後一度も連絡をしてこない。
ケアマネにしろ・・・あそこは本当に腐っている。

文句をいうくらいなら移せばいいのだが
そういかない。弱い立場なんだよな。
私が動けなくなってから、どんどん状況は悪くなっている気がする。

でも、今はまず自分が健康を取り戻す方が先、
そう自分に言い聞かせてはいるが
私が健康になるまで、待っていてくれるだろうか。

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2009年9月30日 (水)

そんな一日

父の病室へ行って驚いた。
入院して一日。
老健の科長からは「全部ちゃんとやってますから!」
「ちゃんと見てますから!」と
吐き捨てるように言われて信じていたが
(あの人はああいう口調なのだとわかってるが)
びっくりした。
身動きするのもつらいほど
衰弱している父なのに
大きな袋に必要品全部入れてベッドの横に置いてあった。
私が今日行かなかったら・・・自分でやれてただろうか。
きっと看護士さんか助手さんがやってくれたのだろうけど
それにしても・・・。

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いかんいかん!また最初から否定的に見ちゃいけないんだ、
と、思いなおし、本来家族がすることなんだから!と
あるべき場所へそれなりに片付けていたら
ちょうど隣のベッドに、どこかの施設から老人が入院してきた。
カーテン越しに聞こえる付き添いの人の口調で
家族じゃなくて、職員が入院させたんだろう?とわかった。
「ああ、あれも持ってきたら良かったね、
明日持ってきますね。○○があった方が良いよね、
気付かなくてごめんなさいね・・・」等々
結構な時間をかけて持ち物をセットしているようだった。
後でわかったけど、そのおじいさまは、痴呆がだいぶ進んでいて
ほとんど口も利けず、ベッドからも動いてしまい
話しても通じなくて、結局詰め所の一番近い部屋に移されてた。
そういう人に、ちゃんと親身になって入院後の世話をしていた職員。
うちの老健の職員は?!病院併設で隣から移ってきたのに
なぜに、あんなおざなりな?!
そのおじいさまの入所先が、うちの親の老健と別だ、ってことは
顔見知りになってる看護助手のおばさんから聞いた。
「どこのホームだろう、知りたいよ」と思ったがグループホームみたいだ。

いったん、病院を出て、必要なものを買い足しにスーパーへ
実家に寄り空気入れ替えと必要なものをとり
また病院へ。
とりあえず、あと二日は来られないことを伝え
それまで何とかなるようにはしてきたつもり。
その足で、あの監獄のような雰囲気最悪の隣の老健にいる母のところへ。

母は、思いのほか体調は安定しているようにみえた。
でも、父が入院してしまったことで心細いと嘆く。
私も病気になれば同じ病院へ入院できるかしら?だと。
なんという夫婦愛?!
とはいえないよ。
あの夫婦は本当にわからない。
というか、父が・・・父は自分のことしか考えてないからな。
病室でも母のことなどひとことも言ってなかったし。
まあ、それほど今、苦しい体調なのはわかっているけどね。
あそこまで酷くならないと受診させないってどうなのとは思うが
病院の事情、老健の事情があるのだろう。

心から願う。
せめて心のある介護、看病をしてくれるところと巡り会いたい、と。
特に老健は・・・もうすっかり私は不審を通り越して嫌悪感。
一切電話してこないと思ったら母の居室には
ベタベタと「お話しがあります」って紙が張ってあった。
急ぎじゃないってこと?でも、私が行けない事情知ってんだろ。
くだらないことではイチイチ電話してくるくせに。
優先順位というのかな、相手の立場に立って仕事するってこと
あの事業所は皆無だからな。ケアマネにしろ。
人としてどうなの?と思う。

面会時間が終わり、焦って出ようとする私に
2人の老婦人が話しかけてきた。
おっとー時間がないんですが!!!と焦ったが
ちょっとおしゃべりしてエレベータに乗り込む。
私がその人たちと普通に会話しているのを見て
夜勤のスタッフがふしぎーな顔していた。
別に私は鬼じゃありませんから。
というか、年寄りは我々よりもバカなわけじゃないですから。
彼らは見下しているというか、幼児に対するような話し方をする。
そっちの方が私は違和感がある。
だからスタッフに対する注文はうるさいくらいなのだろう、あそこでは。
でも、それは「うちの親だけ特別扱いしろ」ってのではないのだ。
人を人として扱わなければ、それがよそのご老人であっても
私は注意する、それだけだ。
プロとして、給料をもらって働いている以上
社会人としての最低限の説教をしているだけだ。
違う仕事に就いたとき、困らないように、ね。
余計なお世話だが。そういうやからが多い、あの施設。

今はどこの病院でも施設でも在宅の介護の人でも
「おじいちゃん」「おばあちゃん」など呼ばないのが普通で
当然名前で呼びかける。
でも、あそこではまだ「じいちゃん」とかいう場面に遭遇する。
それはいいのだ。親しみを込めてのそれ、なら。
ただ、あそこはね・・・くそじじい、って感じで言ってるからな。
使い分けも悪い意味でしているようだ。

私は、たとえ100歳の人でも「おばあちゃん」とは言わない。
だって私のおばあちゃんじゃないもの。
「おばさん」「おじさん」と呼びかける。
当たり前のことだけど、それをすると職員は「???」の目になる。
私は自分が年老いた時、子供もいないわけだから
たぶん身内から「おばあちゃん」と呼ばれない生涯だろう。
でも、最期ひとりになり施設に入れたとして
「おばあちゃん」と呼ばれたら「ムッ」とするだろうな(笑)
わざとらしく親しみもなく名前で呼ばれるより
私は「おばさん」と呼んでもらいたい。

そういえば、関西出身の夫の話だと
向こうでは「おっさん」って呼ぶのはあまり・・・なのだとか。
私は親しみをこめて「おじさん」という代わりに
「おっさん」というのだとばかり思っていたが
そういうときは「おっちゃん」というのだと聞いた。
地方によって、そういう感覚は違うのだな、気をつけないと。
こちらでは「おばさん」「おじさん」は決して失礼な呼び方じゃなく
目上の人で高齢の人に(おばあちゃん世代の人でも)
「おばさん」と呼びかけるのは、失礼にはならない。

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2009年9月28日 (月)

父、悪化

老健にショートステイ(ロングステイになるかも)している父が
明日その母体の病院を受診することになった。
入院させてくれると良いけれど・・・。

シルバーウィークの辺りから体調が悪化していた。
なぜ連休明けに受診させなかったのか?
あそこの看護科長の判断方針がワタシには疑念が残る。
前回大衝突してから、会っていないが
代わりに面会に行った姉には激変の低姿勢だったらしい。
というか、それが普通だろう、と思う。
どこの世界に、家族にも入居者にもあのような口の聞き方をする人が
いるのだ。イマドキ。
居室に突然現れ主語なしで用件だけ言って去る。
しかもタメグチ。50歳で。いや50歳だから?偉いの?
看護科長「○○の用紙ある?」
ワタシ「あ、それなら自宅にあると思いま・・・」
看護科長「あ、そう。それならいい」
ワタシ「はい。あのそれは・・・」(持ってきましょうか?と聞きたかった)
看護科長・・・既に退出。
おおおーーーい。どんだけ忙しいんじゃ。
というか、何のために聞いたのか?その態度って何様?!
まあ、一事が万事その調子な高ビー(死語?)な看護科長と看護婦ども。
あの施設に入れたくはなかった。
でも、その病院はセカンド主治医だし、そこのケアマネ担当だし
そこと縁が切れると市内で入院できる病院がない
病院不足な実家のある市。

退院後から自宅へ戻らず、文字通りリハビリのために入居していたのだが…
ちょうど1カ月。
やはり心臓と腎機能が悪化したのだろう。症状は前回と同じ。
でも、父はあれほど苦痛な生活であっても
(痴呆の方や言語障害の方が多い環境で出してくれ!と連日
涙で訴えてた。食事管理も制限食で融通が利かず、父にとっては監獄)
1カ月間、症状が悪化しなかった。
ここ1年は、退院→自宅になると、大体一週間から10日程度で
悪化して通院、点滴→入院となっていた
それを考えると、やはりあのような環境であっても
自宅よりは状態の悪化は遅いのか?と思う。

せめて同じ老健等でも、もう少し人間味のあるところ
父の自由を黙認してくれそうなところ、を探しているが
いろいろやっかいな問題があり(ケアマネを替えなくちゃ、とか)
中断していたのだ。

父のために、せめて入院にしてやりたい。
そうしたら売店もあるし、同室の人と交流もできるし。
父はあの病棟の看護婦さんとの関係も良好なので
(というか、あそこの看護科長は非常に人格者)
老健よりは快適な生活が過ごせるのではないか?と。

一番いいのが本物の主治医、他市にある大病院の方だけど
そこへ連れて行くとセカンド主治医の立場もないし・・・
ケアマネは自分の病院へ入れてほしいみたい、だし。
あ、でも今は一応老健に所属しているから
在宅介護ではないのだった。て、ことは
あのケアマネの手を離れているのか。
うちの父は宙にういている存在なのかしら。
ワタシの入院する父の本命の主治医のいる病院に
同じタイミングで父が入院したら、私も世話を出来るし
いちばん好都合な気がしているが
そううまくはいかないだろうな。

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2009年9月25日 (金)

泥棒呼ばわり(完)

「泥棒呼ばわり(1)」が何故か消えているので・・・
もし読んでくださっている方がいたとしたら
ハナシの途中から・・・になってしまうので、一応追加。
でも、話しの途中から一話目に戻るというのもおかしいし
つながりが悪いとは思うけれど、
いっきに、2の前の話→結末へ。

「銀行から電話が来た」

それは本当のことだった、とわかったのだった。
また「銀行から電話」が来たから。

今度は留守番の家族がとった。
しかも、それは我が家の家計について疑念を抱いている身内。
両親の介護が終末に近付いていると知り、そしてある程度のお金がありそう?
と、わかった途端に頻繁に寄り付くようになった、あの姉。

「銀行から電話があったけど?」そこから先はほぼ父と同じだ。
いくらを何回、○○支店から引き出していると具体的な部分は父とは違うが。
ともかく私が、いや親の口座に少なくともそれくらいのお金があったということが
姉にわかってしまった。怪訝な顔で言われた「銀行から電話が・・・」
これはどうなんだろう?個人情報保護法とか今うるさいけど、
なぜに誰かもわからない(電話に出た人)に言うのかな。

色々なことが頭をかけめぐったが、とりあえず銀行に電話して
その銀行員と話す。
事情を、もういいです!というくらい聞かせてやる。
両親それぞれの入院代、介護に関わる費用、ショートステイ代、
いっきに支払いしたら、すごい金額になるんだよ。
ずっと支払いに行くヒマもなかったんだから、
何ヶ月分もまとめて払ったんだよ。

その銀行では、老人の口座から決まった金額以上の額が3回引き出されると
(ATMから)自動的に確認の電話をすることになっているのだそうだ。
つまり機械的に自動的に電話していた、ということだ。
そのうちの一回を今回父が聞いたのだろう。
ともかく今年はずっと両親どちらも入退院、自宅介護、ショートステイの繰り返し
その一瞬のスキの父が自宅生活の中、そして私がちょっといなかったスキに
電話が来たのだろう。すごいタイミングだ。父本人が電話をとるなんて。

銀行員は事情を聞いて「私はまずいことを言ってしまったかもしれません」と
いまさら詫びた。
もう怒っても仕方ない。済んだこと。そして規則なんでしょうから。
ただ、世知辛い世の中になったな、とつくづく思った。
その銀行のその小さな支店は、たった三人程度のスタッフでやっている
本当に田舎の小さな店。(外勤含めたら6人くらいか)
だから、転勤で人が替わることは当然あれど
ちゃんと引き継ぎをしていってくれていた。
父が、年金を二ヶ月分支給されたらすぐに使ってしまうこと
公共料金の引き落とし等がどんどん滞っていったこと
ついには私が家計を預かることにした経緯
ぜんぶ今までの人は知っていたのだ。

父を禁治産者にしたら?だと?
わかってる、そんなことは。できるならとっくにしているわ。
その手続きをする時間はもちろん、その費用を捻出できなかった。
そういう貧乏人がいるってこと、若い銀行員にはわかるまい。
彼は最後まで本人を連れてお金を引き出しに来ることを勧めていた。
できるかそんなことが。それが現実的なことなのか。
歩くのも苦しい心臓を抱えた二人を車に乗せて
平日の日中窓口に行けるか?ただお金をおろすために?
だいたいまとまった額など見せた日には
父はその日のうちに使ってしまうのだ。

まとまった額といっても、それはたぶん彼の給料1カ月分程度じゃないだろうか。
それが、他市のATMから立て続けに引き出されたからといって…。
過去の履歴を見ればわかることなはず。悪用でないことが。
だってこの何年もそうやって私がやってきたことなんだから。
なぜ今さら…本当に腹が立つ。

今、親の口座には少しまとまった金額が入っている。
それは「消された年金」の一部が支給された分だ。
まだ、時効分は支払われていない。
年金センターの事務処理が間に合わない、のだそうだ。
お役所仕事。
生きているうちに支払われるかどうかもわからなくなってきた。
何度も社保事務所へ足を運び、あらゆる手続きをしたのは私だ。
そして今生活に困窮しているのだから早くしてほしいと頼んでも
「順番だから」の一点張り。
それは、わかる。パンク状態なんでしょう。
でも年齢を考えてほしい。
事務処理が間に合わないなら、そっちの人手を増やしなさいよ、
コールセンターにバカ高い時給で人雇ってからに。
社保事務所で言われたのは
「亡くなってからでも、出ますから。
そうしたらちゃんと貴女たち家族が相続できるんだから」
仰天した。さすがに怒鳴った。
「生きてるうちに、親の生活のために必要なお金だから急いでるんです!」

悪い子供なら(ああ、その方が良いかも)と悪知恵が働くかもしれない。
そんなことを言えば。
どういう神経でそういうことをいうのか役人の人間性を疑った。
うちは、いや他の姉妹は別みたいだが
私は「消された年金」を全て親のために使うつもりだ。
今より少しでもマシな環境で過ごさせるにはどうしたらいいか
そのために毎日調べまくっているのだ。

残してもらうつもりは、ない。
それも大した額ではないのだ。足りない。
有料老人ホームに入れるにも、家をリフォームするにも。
どちらにしても、私たち夫婦がローンを増やすことになるだろう。
それでもまだ、消された年金が出ることになってありがたいとは思っているが。
きっと手続きも出来ず、いや手続きしても間に合わずに
たいへんな毎日を過ごしている人、亡くなった人もいるのだから。

「消された年金」については、この記事には書ききれないくらい
たくさんのことがあった。
本当にひとりで闘った。
二年近くかかって、まだ解決はしていない。
政党が変わってこれからどうなるのか、それを思うと心臓が痛い。

本当にやっかいだったし、どれほど心が疲弊したかわからない。
私はまだ若いから役人とも太刀打ち出来たが
これが、親本人だったら、たぶん諦めて帰ることになったろう。
いや、その前に社保事務所へ行ける健康状態じゃないけど。

何時間も待たされた末、やっと自分の番になって窓口へ行けば
けんもほろろに「データがありません」とやられているご老人をたくさん見た。
話しを聞き出す、という姿勢がまずないのだ。
一度などは、隣の老婦人があまりに気の毒なので
代わりに職員に一喝したことすらあった。
横から口出しされてビックリしてたが、ちゃんと話しを聞きなさい!
その受け答えはどうなんだ!!と非常に腹立たしかった。
耳が遠い人がいっぱい来たって当たり前じゃないか、老人なんだから。
あんたたちも皆年をとるんだよ。
自分達の老後が守られてるからって他人事みたいに考えるな。
「相手の立場に立って考えてみたらどうなの」
これはだいたい通用しない。

「自分の親の話しだと思って考えてみてください」
そういわれて(はっ)と顔色が変わる人はまだ良い方だ。
そこまで言わないと想像できない、人の立場に立って考えることができない。
何十年も公務員という職についていると人間性までおかしくなるのか。

中には、「うちの親はちゃんと年金出てますから」と
のうのうとぬかすヤツもいた。
自分と自分の家族だけが幸せなら、良いんだな。
そういう人間が多くなった日本なんだろう。

*******************

話しは年金に逸れてしまったが
ともかく
父が私を泥棒扱いしたのは、痴呆で突然妄想ではなかったことがわかった。
「銀行から電話が来た」
それがきっかけで事実が半分あったのだ、ということ。
それを知って、とても複雑な自分がいる。

そして、親のお金の使い方について、
これからまた新しい問題が発生したわけで。
兄弟がいるからこそ、やっかいなことが多くなる、とつくづく思う。
一人っ子だったら、きっとそれはそれで兄弟がいたら・・・と思うのだろうか。

また頭の痛いことがひとつ増えた。

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