友人の話は、まぁごちゃごちゃ混みいっていたけれど
今思えば(まだ、憤懣がたまっている)
どうやらそれは病気のことでも子供の学校問題でもなく
一番は「自己実現」のことだった気がする。
とっかかりは「どこの病院へ行ったら良いだろう」という相談だったけど
何だかずっと聞かされ続けたのは
「いかに自分の埋もれた才能がもったいないか!」だった。
「お金のためじゃなく、スキルを使って報酬を得たい」と。
『お金のため』じゃなく働くと、それは結果的には
続かないと私はいろいろと見てきて思う。
趣味がお金を生むならまだしも
自己実現のために働きたい、それはきれいごと。
彼女の夫はこの不況下でも安定した報酬と
地位が揺るがない
職業に就いている人である。
もうそれだけでどれほど私などから見たら安泰か。
と、いうか事業仕分けで仕分けられるべきだろ!(怒
という類いの仕事なのだ。
しかし。
彼女はずっとずっと自分が陰で夫を支えることに
我慢がならないまま生きて来たらしい。
今回の爆発のきっかけは
その彼女の「対価をもらえるに相当する語学力」を
夫が当たり前に利用している、甘えている、ということだった。
うーーーん。。。
「それが内助の功なのよ」
そんな言葉はきっと彼女は欲しくはなかったのだろう。
贅沢な悩み…と苦笑する以前に
彼女のスキルの自己評価が異常に高いことが
私の頭から消せないために(知っているからこそ)
私は協調してはあげられないのが本音だった。
それは、どこかでボランティア程度に
…は出来るだろう。
でも、それを本職にできるか?といえば
本業で翻訳や通訳、同時通訳を仕事にしていた人を
知っているからこそ、
私は口先だけの同調をしてあげられない。
世間は厳しいんだ、って。
短大の英文科で半年の留学経験があって
自分でずっとブラッシュアップを続けていたって
主婦になって何十年というブランクは大きい。
だいたい、スキルの高い人ほど謙虚だったりする。
仕事で彼女に通訳を頼んだことがあったが
とても使いものにならなかった。
翻訳を頼んでも時間ばかりかかるし、日本語もおかしくて
やっぱり同じだった。
彼女の世界観は、20年近く前の世の中で止まっているようだ。
若いあの頃は苦笑いしながらも周囲が何とかしてくれた。
女は愛嬌で赦される部分もあったろう。
でも、今は違う、って。
パソコンもまともに扱えない人がどうやって?
ご主人は、ずいぶん年上で
家族だから
彼女を上手におだてて尊敬の念を表しながら
彼女に手伝いを頼んでいる。
それって、それだけでとてもすごい夫婦愛だと思う。
そういえば、彼女と知り合い、一緒に仕事をしたのは
その20年近く前だった。
今日彼女から当時の会社のことをまるで昨日のことのように
聞かされて、たしかに私も懐かしかった。
でも、途中からついていけない部分もあった。
私には、その後の何十年は空白ではなく
様々な場所で様々な人たちと関わって仕事をしてきた。
そのいくつかの時の流れの中の一部にすぎない。
「勤労」のエピソードで思い出すのは
あの会社だけではないし、仲間も彼らだけではない。
でも、彼女のその当時の記憶はいまだに鮮明でリアルだ。
そして、これは私も含めて誰しもそうだが
どうしても記憶の中に自分本位な思い込みがある。
「私はこんなに仕事が出来た」と自分では記憶していても
それがそのまま評価されたかどうかは違ったりするのだ。
自分の失敗は、忘れて、きれいな記憶に塗り替えられたりする。
父を見ていると、つくづく思うが
年寄りなどはそれが顕著だ。
「俺はあれをやり遂げた」というけれど
「それはパパの失敗だったじゃない」などということばかり。
そして、年を取るほどに人は過去の成功談をなぜか披露する。
お年寄りの自慢話は何度繰り返されようが耐えられる私でも
同世代の彼女の記憶違いはやはりつきあいきれない。
「あの日私たちは夜中まで残業して仕事をやり遂げたね!」
と言われても私の中のその同じ経験は
「あの時貴女は、時間ばかりかかって閉口したのよ
バイトで来ていた女の子の方がよっぽど役に立ってたよ」
まさかそんなことは彼女には言えない。
私の中で夜中まで一緒に仕事をした仲間は
彼女ではなく、名前も忘れてしまったバイトの大学生だった。
ただ、彼女は実務では(うーーん)だったけど
とても場をなごませてくれた。
コーヒーをさりげなく持ってきてくれたり
言葉で皆を鼓舞したり
そういう気配りがどれほど助かったか。
そういう彼女はやっぱり今の立場はとても合っている
と私は思ってしまう。
語学力は、趣味として生かせばいいのだ。
私も友人も、経緯は違えど
自分の意に反して主婦という立場になってしまったことは
同じだ。
だからこそ、やりきれない気持ちは十分理解できる。
どんなに夫に感謝されようと、理解してもらっていようと
世間からは認められず、直接報酬もないという主婦の立場。
それになるまでは「お気楽でいいな」と思っていた。
でも、違う。
もちろんお気楽なマダムもいるだろうけど
友人や私のように、陰で手伝っている妻もいる。
時に夜を徹して下原稿をタイプしたり
人手不足の中、家に持ち帰った仕事を手伝う。
でも、それが仕事、自分の今の立場なのだ、と
喜びを持って出来るか?といえば
やっぱり「ちぇっ」と思ってしまったりもするのだ。
主婦とは何と勝手なことか、と自覚もしているが。
自分の仕事を持つというのは本当に尊いことだ。
それは、失ってみてわかる。
でも、自分の分をわきまえるということも
やっぱり必要なんだ。
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