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2010年7月

2010年7月27日 (火)

当たった


超ローカルな懸賞だけども
一応当選で商品が送られてきた。
地元のプロ野球観戦チケット。

その封筒ってのが、まるでDMみたいで
しかも我が家が利用している燃料店の親会社の名前。
(ガスや灯油などをそこから購入している)
一応「当選賞品在中」って書いてあったのに
私は数日放置していた。
危ないあぶない、そのままゴミ箱行き一歩手前だった。
「賞品」って書いてあるけど応募した記憶もないし
普通郵便で封筒で送って来るくらいなら
たいしたものでもないのだろうと思いながらも
ちょっぴりワクワクしながら開封してみた。

したらば、その観戦チケットだったわけ。
平日のナイトゲーム・・・
それでもって私たちはあまり熱心ではないのだな
プロ野球観戦て。
行けるかなぁ。行けないかも。

そういえば、これはこないだその店で物を購入した時に
すっごく愛想の良い店員さんが
「ちょうど懸賞やってるから応募してみてください!」と
応募用紙を出してくれたものだった。
賞品を聞いて「別に当たってもねぇ」なんて
かわいげのないことを言いながら書いたのだった。
もしかして「はずれなしの懸賞?」と思い
今、そのサイトを見てみたら一等は20人
二等は1000人。
どっちにしてもすごい確率ではずれなし、だったとは思う。
クローズド懸賞っていうか、誰でも応募できないタイプのだから
応募者は少ないはずだし。
なんてブツブツ言ってないで喜ばなくては。
でも、実は二等の商品券の方が嬉しかったかも・・・。
まあ金額で言えば全然低いけれども、
チケットは、もしかしたら行けなかったら無駄になるもんね。

でもでも
久々に懸賞に当たって
それがちょっと嬉しかった。
そういえば数年前に海外旅行にも当たったんだっけ。
あれは結局行けなかったけど。
また懸賞に応募し始めようかな、運が戻ってきたかも。

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2010年7月21日 (水)

感覚の違い

そういえば…

お金の感覚って人それぞれだ。

昨日の友人は公務員の給料が減ってるとか
例の仕分けの際のれんほーの台詞
「一番じゃなきゃダメなんですか?」
だったか
「二番じゃダメなんですか?」
だったかな、
あの言葉に憤慨していた。

つまり御主人はそれ系の仕事なのである。
すっかり忘れていたがそうだった。
「二番でも良いんじゃない?」と
心の中で思った。
道路の穴の数を探すような研究は一番である必要など
あるはずもない。

もちろん尊い研究なんだろうと思う。
国のために必要なんだろうと・・・思っている。
せめて、友人の夫の部門だけは
そうなんだろう、と思いたい。
でも、
しょっちゅう飛行機に乗って国内外へ出張へ行き
今やってることは、なんだか大学のお勉強のようである。
お給料をもらって勉強しているような・・・
仕分けを動画で見ていなかったら
私には気付かなかったことだと思うが
そもそも、なぜ友人の夫の職場があの土地にあるのか?
からして、無駄なことなのだ。
毎週上京するならば、そうしなければ仕事にならないなら
そこを拠点にしたら出張費が減るじゃない。
高い報酬をもらい官舎にただ同然で住まい
それでも給料が上がらない・・・とぼやくその感覚。
それが全部あの政党のせいだ、とのたまう感覚。

ずれてる。

二年前、高校時代からの親友が笑いながら
ぼやいたことがあった。
彼女の夫は小さな会社の営業マン。
もうずっと毎年「潰れるかも?」と言われ続け
「ボーナスは出ないかも?」と言われ続け
それでも会社は何とか持ちこたえ
そしてどんどん削られながらも一応ボーナスも支給されてきた。
ところが、その二年前の冬。
「本当にボーナス出なかったんだよね!ゼロ!」
学費のかかる世代の子供三人抱えて
彼女もフルタイムでパートして
もうこれ以上ギリギリ。
だけどボーナス払いのローンはあるわけで。
さすがに本当に出ないとわかって目の前真っ暗だったよ。

友達は努めて明るく話すけれど
笑い話じゃないよなー?!と
私はもう自分のことのように愕然として
でも貸せるお金も、もちろんないし
「どーするの?!」と真剣に聞いたら
保険を解約したり、借りられる保険からは借りたり
何とかするよ、それしかないじゃない?
と笑っていた。
彼女は「本当にそういうことってあるんだな?!」と
それが笑ってしまっちゃうような経験だ、と言うのだ。
わかる、わかる。
私も夫のボーナスゼロのここ数年だし、
それ以前に自分もゼロになったこともあったよ。
金一封すら出なかった時って
覚悟はしていても、ほんとうにゼロだったら
なんか(おお!!)と不思議と笑っちゃった。
笑いごとじゃないのだけど
「こういうことって現実にあるんだな!!」と思った。

こんなに頑張ってるのに
夫は朝から晩まで必死で働いていても
それでも会社の利益は比例しなくて
だから賞与が出なかったり給料が下がることは
仕方がないのだ。
決して会社も社長も恨んでもいない。
当たり前だけど、でも受け入れて
それで自分で対策するしかないんだ。
文句があるなら辞めるしかないのだ。
私は、自分の経験のあとから
そもそもボーナス払いというのを止めた。
あれは公務員か大企業勤めの人が利用できる
支払い方法なんだ。

ところが
昨日の友人は、民間じゃ考えられないような給料をもらい
それが微々たる削減でも文句を言い
あの国会議員を悪者にする。
ずれている。
国の財政が破綻しているのだから
つぶれそうな会社が給料を下げるなんて当たり前のこと
という意識が全くないんだな、と思った。

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2010年7月20日 (火)

分をわきまえる

友人の話は、まぁごちゃごちゃ混みいっていたけれど
今思えば(まだ、憤懣がたまっている)
どうやらそれは病気のことでも子供の学校問題でもなく
一番は「自己実現」のことだった気がする。

とっかかりは「どこの病院へ行ったら良いだろう」という相談だったけど
何だかずっと聞かされ続けたのは
「いかに自分の埋もれた才能がもったいないか!」だった。
「お金のためじゃなく、スキルを使って報酬を得たい」と。

『お金のため』じゃなく働くと、それは結果的には
続かないと私はいろいろと見てきて思う。
趣味がお金を生むならまだしも
自己実現のために働きたい、それはきれいごと。

彼女の夫はこの不況下でも安定した報酬と
地位が揺るがない
職業に就いている人である。
もうそれだけでどれほど私などから見たら安泰か。
と、いうか事業仕分けで仕分けられるべきだろ!(怒
という類いの仕事なのだ。

しかし。
彼女はずっとずっと自分が陰で夫を支えることに
我慢がならないまま生きて来たらしい。
今回の爆発のきっかけは
その彼女の「対価をもらえるに相当する語学力」を
夫が当たり前に利用している、甘えている、ということだった。
うーーーん。。。
「それが内助の功なのよ」
そんな言葉はきっと彼女は欲しくはなかったのだろう。

贅沢な悩み…と苦笑する以前に
彼女のスキルの自己評価が異常に高いことが
私の頭から消せないために(知っているからこそ)
私は協調してはあげられないのが本音だった。
それは、どこかでボランティア程度に
…は出来るだろう。
でも、それを本職にできるか?といえば
本業で翻訳や通訳、同時通訳を仕事にしていた人を
知っているからこそ、
私は口先だけの同調をしてあげられない。
世間は厳しいんだ、って。
短大の英文科で半年の留学経験があって
自分でずっとブラッシュアップを続けていたって
主婦になって何十年というブランクは大きい。
だいたい、スキルの高い人ほど謙虚だったりする。

仕事で彼女に通訳を頼んだことがあったが
とても使いものにならなかった。
翻訳を頼んでも時間ばかりかかるし、日本語もおかしくて
やっぱり同じだった。
彼女の世界観は、20年近く前の世の中で止まっているようだ。
若いあの頃は苦笑いしながらも周囲が何とかしてくれた。
女は愛嬌で赦される部分もあったろう。
でも、今は違う、って。
パソコンもまともに扱えない人がどうやって?
ご主人は、ずいぶん年上で
家族だから
彼女を上手におだてて尊敬の念を表しながら
彼女に手伝いを頼んでいる。
それって、それだけでとてもすごい夫婦愛だと思う。

そういえば、彼女と知り合い、一緒に仕事をしたのは
その20年近く前だった。
今日彼女から当時の会社のことをまるで昨日のことのように
聞かされて、たしかに私も懐かしかった。
でも、途中からついていけない部分もあった。
私には、その後の何十年は空白ではなく
様々な場所で様々な人たちと関わって仕事をしてきた。
そのいくつかの時の流れの中の一部にすぎない。
「勤労」のエピソードで思い出すのは
あの会社だけではないし、仲間も彼らだけではない。
でも、彼女のその当時の記憶はいまだに鮮明でリアルだ。
そして、これは私も含めて誰しもそうだが
どうしても記憶の中に自分本位な思い込みがある。
「私はこんなに仕事が出来た」と自分では記憶していても
それがそのまま評価されたかどうかは違ったりするのだ。
自分の失敗は、忘れて、きれいな記憶に塗り替えられたりする。

父を見ていると、つくづく思うが
年寄りなどはそれが顕著だ。
「俺はあれをやり遂げた」というけれど
「それはパパの失敗だったじゃない」などということばかり。
そして、年を取るほどに人は過去の成功談をなぜか披露する。
お年寄りの自慢話は何度繰り返されようが耐えられる私でも
同世代の彼女の記憶違いはやはりつきあいきれない。
「あの日私たちは夜中まで残業して仕事をやり遂げたね!」
と言われても私の中のその同じ経験は
「あの時貴女は、時間ばかりかかって閉口したのよ
バイトで来ていた女の子の方がよっぽど役に立ってたよ」
まさかそんなことは彼女には言えない。
私の中で夜中まで一緒に仕事をした仲間は
彼女ではなく、名前も忘れてしまったバイトの大学生だった。
ただ、彼女は実務では(うーーん)だったけど
とても場をなごませてくれた。
コーヒーをさりげなく持ってきてくれたり
言葉で皆を鼓舞したり
そういう気配りがどれほど助かったか。
そういう彼女はやっぱり今の立場はとても合っている
と私は思ってしまう。
語学力は、趣味として生かせばいいのだ。

私も友人も、経緯は違えど
自分の意に反して主婦という立場になってしまったことは
同じだ。
だからこそ、やりきれない気持ちは十分理解できる。
どんなに夫に感謝されようと、理解してもらっていようと
世間からは認められず、直接報酬もないという主婦の立場。
それになるまでは「お気楽でいいな」と思っていた。
でも、違う。
もちろんお気楽なマダムもいるだろうけど
友人や私のように、陰で手伝っている妻もいる。
時に夜を徹して下原稿をタイプしたり
人手不足の中、家に持ち帰った仕事を手伝う。
でも、それが仕事、自分の今の立場なのだ、と
喜びを持って出来るか?といえば
やっぱり「ちぇっ」と思ってしまったりもするのだ。
主婦とは何と勝手なことか、と自覚もしているが。

自分の仕事を持つというのは本当に尊いことだ。
それは、失ってみてわかる。
でも、自分の分をわきまえるということも
やっぱり必要なんだ。

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一方的な電話

不快指数と同じなのか、
このところ体調が芳しくない。
頭痛がとれなかったり、腰痛が悪化したり…
でも、どうしても今週中、それも今日か明日には
親の件で用事を足さなければならず
今日「行こう」と思っていた。
無理してでも片付けなければいけない用事。

その、まさに今から「支度をしよう」と腰を上げた時
電話が鳴った。
番号表示に名前が表示されていない番号からの電話。
でも、市外局番には見覚えがある…
もしかしたら姉が申し込みをしたという施設から?
そう思って電話に出てみた。
相手は古い友人だった。
(あ、彼女も○○市在住だったか)と思ったが後の祭り。
登録していないということは、
それほど電話を掛け合わない間柄でもあり
このところはずっとメールや携帯が多かった。
家電にかかってくることもかけることもほとんどない。

「何事か?!」と思いきや
結局は自分の病気自慢、夫の出世自慢の話だった。
炸裂トークは終わらず(口を挟む間もなく)
一時間が経過した時点で私は今日の予定を中止することを
自分の中で決めた。諦めた。
途中何度かキャッチが入ったが
それはもしかしたら父から?かもしれないけれど
とても「ちょっと待って」と言えない雰囲気で
彼女を優先しよう、と思った。
どうしても緊迫した用件なら携帯にかけ直してくるだろうし。

で、私が今非常におさまらない気持ちでいるのは
その一方的電話が一方的に切れたから…である。
全くもって驚いた。非常識過ぎる切り方だった。
私が、何やら彼女の話について返答していた時
途中で遮って
「疲れたからじゃあね」だって(驚愕
そりゃあ疲れるだろうと思う、あれだけ一方的に話せば。
でも、それって聞いてほしいだけで意見は欲しくなかったのね。
あれじゃあ、まるでうちの長女以上である。

頻繁に電話し合っている間柄ならまだしも
そうではないからこそ驚いてしまった。
(こんな人だったっけ?)とも。
子育て真っ最中の友人とか、特に小さな子がいる人などは
どうしてもそんなこともあったりする
(あ!起きちゃったから、ごめんね)みたいな。
でも、彼女のは違うのだ「疲れたから」だから。
こっちは最初から疲れていたし体調も悪いと
彼女には断ってあったにもかかわらず聞かされてたのに?!

そういえば、何度かこの番号から(今思えば)
着信が残っていたことがあった。
でも、たまたま留守だったり、知らない番号だから出なかったり。
それで一ヶ月前に携帯に電話が来たことがあった。
その時、既に今回のような予兆はあったのだった。
人づてに私の体調を知り「心配して…」という電話だったが
結局は彼女の病気自慢(彼女の方が難しい病気)を
聞かされ
その時も一方的に切れた。
でも、私は気にも留めなかった。
だけど今思えば、似たようなものだったな。
何を話したいのかわからないけど
今彼女がかかえてる憤懣をぶちまけられて終わった感じ。

あれは一種の更年期障害かもしれない…
老化、というのか。
母も晩年はそうだった。
安否確認で電話をしても
会話になる日もあれば、そうでない日もあった。
その差が極端だった。
母は姉と違い一方的に話すことはせず
必ずこちらの話にも耳を傾ける人だけれど
それでも、途中で「疲れたからじゃあね」と切られる日があった。
会話の途中で切られるのだ。
その頻度がどんどん増していっていた。
???と思いながらも私は
そんな日があってもかけ続けたけれど
年に数回、それも自分の用事がある時だけ電話する
姉たちは、母にそんな電話の切られ方をしたら
怒ってしまい、よけい電話してくれなくなってしまった。
私に「ママったら」と愚痴の電話が来る始末。

母は高齢だから仕方ないと思ったし
事実医師から「本当にずっと具合が悪かったろうに
黙って我慢してきたのだろう」と言われたけれど
今日電話がかかってきた彼女もそうなのだろうか。
老化というにはまだ若すぎるけれど
よほど体調がおかしくて精神的にも?

私の二時間を返してよ!と
さすがに切られた直後は頭に来てしまい
こうしてブログにぶつけていたが
書いているうちに、冷静になってきた。

とりあえず彼女の家電話を登録した。
今後かかってきても、着信表示を見て
出るか出ないか決められる。

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