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2010年1月

2010年1月21日 (木)

介護度が下がった。

母の介護度が下がった。
案の定だ、想定内だ。
施設にいれば「自分で身の回りのことが出来る」
となるのだ。
そう、職員が言うしかない、のだ。

私が認定調査に立ち会った意味はあったのだろうか。
要支援にならなかっただけマシなのか。

でも、母はおむつを汚しているし、
昨日だって職員が見ていてくれなかったから
転倒した。本人は転倒すら覚えていず、
いつ、何でなのかも覚えていない。
それに気付いたのは、職員ではなく
同室の、しかも痴呆の進んだおばあさんからの申告で、だ。
それほど傷が残っているのに、
朝転倒しているのに午後になって対応する始末。
自宅でいたら寝たきりだった。
でも、老健では「回復した」と言われる。
回復どころか痴呆が進むだけ、だ。
なのに介護度は下がる一方。
でも、文句は言えない。
私は今介護が出来ないのだから。
老健は自宅介護が出来るまでリハビリするための施設。
あの施設は自分達の仕事を
心無くこなしているだけ、なのだ。
怪我をして何時間後であろうと
自分達は気付かず放置していようと
結果、知らされて気付いて、医者に見せたのだから
そして結果骨には異常がなかったのだから
それでよいでしょう?やることやりましたから。
あたたかいご連絡に感謝しなくてはならないのだ。

コイズミは、何を考えてこんな制度を作ったのか。
あいつを恨んでも恨みきれない。

私は、あの人間はおかしい、と
別に霊能者でも何でもないけど
胡散臭いと思っていた。
コイズミフィーバーの時ですら嫌なものを感じていた。
自分の老後は金持ちだから安泰なのだろう。
政治家は一度なったら莫大な年金がもらえるのだろう。
JALどころのハナシではない。
末端の人間のことを考えず
自分の馬鹿息子を世襲した、元首相。
あの人に歓喜していたおばちゃんたち、
自分の老後が、あの首相のおかげで悲惨なものに
なるのも考えず。なにがじゅんちゃんだ。

今も、あの白髪の元首相を何かで見るたび虫唾が走る。
息子たちも、
議員になった、あの口調が父親そっくりの若造も
親の力を最大限利用してなったのかしらないが
あの俳優になった息子も、テレビで見たくもない。

********

施設の職員は、相変わらず心無い対応だった。
あそこは本当に評判が悪い。
でも、
実家に近くて病院併設はあそこしか選択肢はない、のだ。
私の住む町に住民票を移して
新たなケアマネを探して・・・
それが良いのかどうか、わからない。
もうこれ以上、ひどいケアマネに合うのは
私の精神が持たない。

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2010年1月16日 (土)

夢・・・分析

昨日の夢、長い長い展開の夢だった。
起きてもまだ、なんともいえない気持ちになり
朝食の支度をしながらも頭の中は夢のことで気もそぞろ。
夫に「嫌な夢は人に話してしまった方がよい」と
促されるも、そういう内容でもないんだよな…
「火事」とか「人の死」とか、そういうのではない。

古い友人夫婦が登場してきた。
その夫婦とはとても親しく10年以上付き合ってきた。
妻が私の高校時代からの友人。
でも、わけあって3年前から断絶している。
(喧嘩別れではなく、意図的に距離を置いた
人の悪口、陰口が多くなったので)

その友人の離婚した夫が登場。
彼はその後若くして病死したので今は故人。

独身の私と3人で彼らの家でくつろいでいた。
昔はよくそういうことがあった。
優しくて人柄の良いご主人だった。
彼女は、自分の家の間取りを案内してくれた。
二階は新築なのに階下は雨漏りがひどく
暗くて廃屋のようだった。
その中の一室にやせ細った瀕死の子猫が2匹。
彼女が拾ってミルクを飲ませて育てている、という。

そして彼女は引越しをする、という。
新しい家へ案内されて、明るく住みやすそうな環境に
私も喜ぶ。
そして彼女は「猫は前の廃屋に置いてくる」と言った。
私はそれは可哀相と説得するも
彼女は平然として「仕方がない」という。
「どうせ長くないから。あそこでそのまま・・・」

私は憤慨し、どうしても見過ごせなくて
自分が引き取ろう、と思う。
そして廃屋へ向かうが、途中で考え込んでしまう。
どう考えても長くない状態の猫達。
最期を看取ることになるのは必至。
何より医療費が捻出できるだろうか。
ちゃんと看てあげられないのなら
あのまま自然死を迎えた方が良いのだろうか。
知らなかったこと、として目をつぶる方が・・・
葛藤している時に電話が鳴り目が覚めた。

私の中のショックは、訣別した友人が出てきたこと。
今は頭の片隅にもなく普段思い出しもしない彼女が。
そして故人となった懐かしい彼女の元亭主。
私にとっても友人だった彼が元気な姿で出てきたこと。
あとは猫のこと。

友人達のことは、たぶん心の片隅で懐かしく
思い続けていたのだろうから、それほど意味を感じない。

ただ、猫たちのことは、
今の自分の親の問題とリンクしてしまった。
私は、今の老健を終の棲家とはしたくない。
でも、他の身内は「どこでも同じ」
「どうせ長くないのだから」

私には見て見ぬふりは出来ない。
完璧な場所などないのはわかっている。
でも、せめて出来る限り快適なところへ入れてやりたい。
事情の許す限り、改善しなくてはならない。
夢の中で
「自然死を迎えるまで、あそこで。
死なせてやること、余計な手を打たないことも
猫のため」と元友人はきっぱり言った。
気持ちを残さないで切り替えているから
自分は平気なんだ、と。

親のことと夢の中の猫のことは同列のハナシではない。
でも、私が今抱えている潜在的悩みが
今日の夢に出てきた気がする。

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